他人には全く役に立たない備忘録です。調べ物、調査中の記事、情報になる前段階のアイデア等が多く含まれます。したがって情報は正確ではありません。

   

2010年3月17日水曜日

坂本龍馬のフリーメイソン説は嘘

坂本龍馬がフリーメイソンだったという話はタマネギのような話。皮を剥いて核心に迫っていけばいけばいくほど中身はない。証拠はない。根拠がない。

交流相手のグラバー(長崎)がフリーメーソンのメンバーだった。
坂本龍馬には長崎の貿易商グラバーとの交流があり、そのグラバーがフリーメイソンのメンバーだったから、坂本龍馬もフリーメーソンだったとされます。しかし、そもそも、グラバーがフリーメーソンだったという根拠が薄弱です。
長崎グラバー邸に置かれている門柱には、フリーメーソンのシンボルマークが彫られているのは事実です。しかしこの門柱自体は、太平洋戦争後の1966年に、全く別人のイギリス人の邸宅に存在していた物が寄贈され運び込まれたものです。つまり、江戸時代末期のグラバーとフリーメーソンを結びつける証拠にはなりえないのです。
もし仮にグラバーがフリーメーソンの一員だったとしても、そのことが直ちに坂本龍馬がフリーメーソンのメンバーであったことの根拠にはなりません。

龍馬の貿易相手がフリーメイソンだったら、龍馬もフリーメーソンである。
論理的ではありません。八百屋で野菜を買ったあなたは八百屋でしょうか。八百屋に野菜を売った農家の方もまた八百屋ではありません。

薩長同盟締結の美談
フリーメーソンが明治の革命(明治維新)を成功させるために薩長同盟の締結をさせ、それを同盟を実現させたのが坂本龍馬であるなどとも言われます。
しかし、薩摩と長州の協力関係を坂本龍馬が発案したのかどうかはわかっていません。後にヒーロー伝説が語られていくうちに出来上がったできすぎた話なのかもしれません。
事実、薩長同盟が成立するよりも前に薩摩と長州の協力関係があったことが確認されています。いがみあって乗り気ではい薩摩と長州を坂本龍馬が説得したわけではなさそうです。
たしかに、坂本龍馬が薩長同盟締結にとってなくてはならない人物であり、重要な役割を果たしたのは事実です。ただし、倒幕のために薩摩藩が望んで薩長の協力関係に入っていったとみるほうが歴史解釈としては素直です。フリーメーソンによる外圧で、徳川幕府が倒れ、明治新政府ができたと見るのは強引なこじつけだといえるでしょう。